Tom Wolfe


Hipsters file 12
トム・ウルフ
スナイダースナイダーは、ケルアック、ギンズバーグ、バロウズがこの世を去ってしまった現在において、50年代60年代のビート詩の現場を実際に生き、いまなお健在である最も重要な詩人であるといえるだろう。時代の証人の話に耳を傾けること、それは最もリアルに時代の遺産を受け継いでいく方法である。
しかし残念ながらその密度は時とともにどんどんと薄れ、また、語り部の数も減っていく。それを補うために、人は記録する。時代を切り取り文章として後世に遺していくことは、その語り口や切り口がそのままひとつの歴史となってしまうという点で、とても危険な作業であると同時に、それがひとつの魅力ともなり得る不思議な作業だ。スナイダーはその時代について多くを語ったり書き残したりしていないが、同世代のジャーナリストに、あえて皮肉たっぷりに、軽々と時代を切り取ってしまった書き手の一人に、トム・ウルフがいる。
トム・ウルフは、スナイダーがサンフランシスコで生まれた翌年の1931年、ヴァージニア州リッチモンドで、農学者の父の子として生まれる。ワシントン・アンド・リー大学で学んだ後、21歳のとき、ニューヨーク・ジャイアンツの投手に応募するも残念ながら落とされ、しかたなくイエール大学の大学院でアメリカ研究を専攻する。1956年に初めて新聞記者の仕事をし、以来『ワシントン・ポスト』『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』の記者となる。その後『エスクワイア』誌などで、ノーマン・メイラー、ゲイ・タリーズなどと共に、ニュー・ジャーナリズムの旗手として、一躍脚光を浴びることになる。
従来、ジャーナリズムと呼ばれるのは極めて客観的でフラットな、いわゆるニュース的な立場が主だった。しかしトムたちはそれらのジャーナリズムの薄っぺらさに疑問を感じ、敢えて客観性を排除し、きわめて主観的かつ積極的に対象に関わっていくことを選んだ。時世を切り取る行為としては極めて危険な作業であるが、しかしその危険を冒してでも(あるいはそれを軽やかに回避し)、よりディープに対象を描くことのほうを重視したのである。1973年、トムは自らニュー・ジャーナリズムの記事を編んだ"The New Journalism"という本を編集。その書籍をきっかけに、彼らの立ち居地や文体は全世界的に広まっていった。
特に「ドラッグでトリップ」的と自ら呼んだトムの文体は非常に軽やかで、時代の空気ともピッタリ一致していた。中でも1968年に書かれた"The Electric Kool-Aid Acid Test"(邦題『クール・クール・LSD交換テスト』太陽社)は、一部のビートニクやヒッピーたちに熱狂的に受け入れられたバイブルとなったし、1975年に書かれた"The painted word"(邦題『現代美術コテンパン』晶文社)は当時の現代美術界に対する軽快かつ痛切なモダニズム批判として広く彼の名を知らしめた。たとえば『現代美術コテンパン』は、このようにはじまる。「ひとは朝、新聞を読んだりなどしないものだ、とかつてマーシャル・マクルーハンはいった。お風呂のように、そのなかにひたるものなんだ、と。まったくそのとおり、ですね、マーシャルさん!」(トム・ウルフ著、高島平吾訳『現代美術コテンパン』)
いまなお日本の政治評論にさえも使われる「ミーイズム」という言葉を広めたのも彼だし、そもそも植草甚一や片岡義男などアメリカ文化にどっぷり浸かった日本の70年代80年代を支えた書き手で、トム・ウルフの影響下にないものはいないだろう。トムはそれだけ影響力のある書き手であった。いや、「であった」ではなく、スナイダーやノーマン・メイラー同様(それぞれ立ち位置は似ても似つかないが)彼も今なお現役である。最新刊は"I Am Charlotte Simmons"。70代の老体がこの小説のために全米の大学を歩き回り学生と話し、言葉遣いを研究して書いた本書は、今のアメリカの学生の実態を生々しく伝える快著であるそうだ。その時代時代を自らの視線で鋭く見据えるという点において、彼のスタンスは今なお変わっていない。
文・内沼晋太郎


