Allen Ginsberg

Hipsters file 1
アレン・ギンズバーグ(Allen Ginsberg)
「今世紀の詩の上手、巧者ということなら、ほかにも沢山いる。だが詩と行動が一致し、それが時代を大きくゆるがせたとなるとわたしはギンズバーグをおいて考えられない。あのヴェトナム反戦のための平和運動が世界的なムーブメントとなり、ヒッピー、フラワー・チルドレンたちをはじめ、時代の多くの若者たちの心をゆるがせたのだ。」(※1)
日本を代表する詩人であり、ギンズバーグと一緒にメキシコやパリを朗読してまわった白石かずこ氏が、ギンズバーグがなくなった際に寄せた文章である。アレン・ギンズバーグは、一九九六年三月二十八日、末期肝臓ガンと診断され、四月五日午前二時三十九分、ニューヨークのアパートで死去。六九歳であった。
一九二六年、母のことを苦に思う詩人の父と、分裂症と闘う母の間に、ギンズバーグは生まれた。十一歳の頃から日記をつけはじめ、十四歳の頃には既に「ぼくは自分のエゴを満足させるために書くのだ。もし未来の歴史家や伝記作家が、天才とは少年時代に何を考え何を行うものなのか知りたければ、ここにすべてがある。ぼくは何らかの分野で天才になるだろう。おそらく文学だ。ぼくは本気でそう信じている(これを読む人はみんな、ぼくをナイーブだと思うだろうが、ぼくは本気だ)」と記したという(※2)。そしてその20年後には、ギンズバーグは実際にビート・ジェネレーションの中心人物として、文学の分野で多大なる評価を得るに至っていた。彼らのことを、人々は「ヒップスター」と呼んだ。
「この荒涼たる情景に、ひとつの現象があらわれた。アメリカ的実存主義者――ヒップスターがそれである。(中略)死の条件をうけいれ、身近かな危険としての死とともに生き、自分を社会から切り放し、根なしかずらとして存在し、自己の反逆的な至上命令への、地図もない前人未到の旅に立つことだということを、知っている人間である。つまり、生活が犯罪的であろうがなかろうが、自己のうちの精神病を鼓舞し、安全は倦怠であり、したがって病的である、あの経験の領域を探求しようというのである」(※3)
ノンフィクション小説の革新者としても有名なアメリカの作家ノーマン・メイラーは「ヒップスター」をこのように定義している。そしてギンズバーグはまさに、この定義にふさわしい人物であった。ケルアックやバロウズといった作家たちと共に、世界同時多発的なカルチュラル・ムーブメントの発火点となったギンズバーグは、「60年代」をつくったといっても過言ではない。そしてその後は世界を放浪し、人間の精神の限界を追い求め、音楽や麻薬や東洋思想へと共鳴していった。
ビート・ジェネレーションは運動めいたものではなく、共通の宣言があるわけでもない。しかしその思想ないしスタイルは、後に続くヒッピーやパンクなど、全てのカウンターカルチャーの原点となっている。「最初の思考が最高の思考」というテーゼ。永遠の若者たちの衝動は、ギンズバーグの残した激しくも優しいことばの中に、全て詰まっているといっても過言ではない。
文・内沼 晋太郎
※1 白石かずこ「詩で時代を動かしたアレン・ギンズバーグ」(『現代詩手帖特集版 総特集アレン・ギンズバーグ』(思潮社)所収)
※2 遠藤朋之編「アレン・ギンズバーグ年譜」(『現代詩手帖特集版 総特集アレン・ギンズバーグ』(思潮社)所収)
※3 ノーマン・メイラー「白い黒人」(ノーマン・メイラー著/山西英一訳『ぼく自身のための広告』(新潮社)所収)


