1984年1月、雪のニューヨーク。マンハッタンのはずれ、ジャンキーのうろうろする12st. 1st. とA ave. の間にあるアレン・ギンズバーグのアパートを訪ねる。アパートの外から大声で名前を呼ぶと、ひとつの窓から長年写真で親しんできた顔が現われた。それらの写真の中でのライオンのような髪は少しだけ短く、白くなっている。彼はおきまりの挨拶などどうでもいいという風に、突然入り口の鍵をこちらめがけて放り投げた。
部屋は、ニューヨークの喧噪を通り抜けてきた僕には、まるでその空間だけ時間が止まっているように思えた。穏やかな表情をしたギンズバーグが様々なカップの中から、一番大きいけれど取手のとれたものを選び、ミントの香りの紅茶を入れてくれた。大きな目が印象深い。遅い朝食を作っていたピーター・オロブスキーが自慢の揚豆腐と、信州味噌で味つけした野菜を、ちょっと味みをしてくれないかといって僕に差し出した。
3日後。もう一度訪ねると、ギンズバーグは山積みされた資料と、ジャック・ケルアック、ニール・キャサディーに捧げた詩を前に出し、自分の作品や日本のことについて語り始めた。何十年間も抱き続けている熱い塊が一挙に流れ出したかのように、その話はとどまらない。どれくらいたった頃か、
その間ずっと座禅を続けていたオロブスキーが、おもむろにタイプライターに向かった。
そして『すばらしき友達たち』と題した文章を少し照れた様子で僕に渡した。
彼らのあふれる優しさと知性に呆然としていた。
2005年9月、アフガニスタン、アクチャ村の家族が4ヶ月の月日をかけ丹精を込めて織り上げてくれた絨毯が、峠を越え、朽ちた戦車を橋とした川をわたり、ペシャワールからイスラマバード、長い道のりを経由してTOKYO HIPSTERS CLUBに届く。
‘HOLY THE SUPERNATURAL EXTRA BRILLIANT INTELLIGENT KINDNESS OF THE SOUL!’
織り込まれたギンズバーグの「HOWLのフットノート」最後の一行。
「霊的で、特に輝くほど聡明で優しい魂は祝福される」べきである。
2005年10月 藤本真樹






