SHINYA KIMURA


13年間に及ぶ『ゼロエンジニアリング』での活動を通し、その名を世界に知らしめたカスタムビルダー木村信也。TOKYO HIPSTERS CLUBでは彼のスピリッツに共感し、オープン当初から彼のカスタムバイクの展示を行っている。そして2006年秋、日本からL.A.へと活動の場を移した木村氏の新たな挑戦をきっかけに、T.H.C.2Fフリースペースにて彼のアートワークをはじめとするエキシビションを開催した。
―――再びL.A.へと渡っていく木村氏に、今回のエキシビションに至るまでの思いや、今後の新たな挑戦について訊いてみた。
木村信也(SHINYA KIMURA)
1962年東京生まれ
琉球大学を卒業後、約8年のバイク屋修行を経て、三河の山奥で『リペアショップ・チャボ』を開業。
92年に『ゼロエンジニアリング』を立ち上げ約13年間活動。日本におけるトップバイクビルダーのひとりとしての地位を確立すると同時に、アメリカのバイクショーへ出品。多数のアワードを受賞。
そして、06年1月『チャボエンジニアリング』の立ち上げと同時に活動の拠点をL.A.に移す。
パーソナルテーマは「カスタムバイクはアートになり得るか?」
まずオープン前に、バイク屋ではないT.H.C.のSHOPに、「木村さんのバイクを置かせて欲しい」と話を持ちかけられた時、どう思いましたか?
–木村信也
時期的に、自分がバイクに感じることがアーティストっぽい方向に向きはじめた時だった。コンセプトに興味があったし、まだSHOPが完成してなくて模型しかなかったけど、空間が何となく想像できて、こういう無機質な(簡単に言うとクールな)空間に自分のバイクを置いたら、バイクっていうよりは作品っぽい感じに表現できるんじゃないかなと考えたんだと思う。売れればいいとかそういう気持ちで置いたんじゃなくて、置いた姿を自分で見てみたかったんだよね。
バイク屋でもないしショールームでもないし、そういうところと違っていろんなコンセプトがあるし。
今回の、T.H.C.でのエキシビジョンに至った理由は何だったのでしょうか?
THCがオープンした時、バイクを制作してそれを1Fに展示したとき、バイクがライトアップされて壁に車輪の蔭が映っている光景をみて、すごくかっこいいと思ったのがきっかけ。いつか、2Fのスペースでエキシビションが出来たらいいなと話をしていて、一年越しで実現できたって感じかな。アメリカに単身渡ったのがいいきっかけになったのかもしれない。

木村さんの最近の活動について教えてください。
13年間ZERO ENGINEERINGというバイク屋をやってきて、“そのくくりの中で作るべきバイク”と、“自分の作りたいバイク”とが歳を追うごとに変化していって…。もう「純粋に自分が好きなことをやりたい」と思って、今年の初めにアメリカという国でチャボを始め、今に至るんだけど、現状は店の準備がやっと終わって、さあこれから、という感じ。
基本的には木村信也という個人の活動をしていて、自分のブランドがチャボエンジニアリング。いろいろな人から仕事を頼まれれば、その都度やります。だから、もしZEROから頼まれればZEROでもデザインすると思う。
ZEROには残らないのですか?
まだどうするかはわからない。
この道に入ったきっかけを教えてください
高校を出る時に、バイクや車がやりたくて、整備学校に行こうと思ったけど、大学に行って何か好きなことを勉強して、面白いことがやりたいなと思って…。
昆虫とかがすごい好きだったから、生物・昆虫学を2年間、蜂とかの勉強をしたりして。学問としてはすごく面白いんだよ、生物って。バイクはずっと趣味で乗っていたのでそのまま職業に…。大学の卒業と同時に、バイク屋さん(量販店)に勤めたんだけど、そこで中古車屋ではなく古いバイクを直す部門に行って、修行を始めることになった。
大学の仲間は学者とかになられているのですか?
そうだね、先生になった人もいれば、農業試験場で害虫駆除をしていたり、学者になったり・・・・。
木村さんが作るバイクが昆虫っぽいと言われるのは、そのあたりに由来があるのですか?
自分の中では意識はないけど、無意識に自然が創るデザインにリスペクトしているケースが多いから、あるかもしれない。別に虫みたいなものを作ろうと思っているわけではないけど(笑)
今回、木村さんはアメリカに渡られたのですが、アメリカという国に対する思いを聞かせてもらえませんか?
アメリカ自体に憧れてアメリカに行ったわけじゃなくて、日本人の、例えば江戸時代のかっこよさっていうのは自分が表現したいことなんだけど、それは日本人よりもアメリカ人とかヨーロッパ人の方がわかってくれるんじゃないかと思ったんだよね。
向こうでその良さが評価されることで、「日本も捨てたもんじゃないんだな」って日本人もわかってくれるような気がするし。
アメリカ人って和服に惹かれて、かっこいい洋間に「JAPON」って掛けてあったりするんだけど、東洋のかっこよさをアレンジしたりするのが上手いと思うんだよね。
日本人としてのかっこよさを表現した時に、わかってもらいやすいというか、日本人にしかできないものだから、かっこいいと思うのかもしれない。
それと、誰でもアーティストと名乗れること。その中のレベルは人が決める事だから、その気楽さがやっぱりいい。
何故、ヨーロッパではなくアメリカだったのでしょうか?
アメリカの方が自由っていうか、ジャンルがないんだよね。楽しく遊ぶ。いい意味でこだわりがないかな。自分の進む道としては、ヨーロッパがいいと思ったけれど、取っかかりとしてアメリカを選んだ。ハーレーがアメリカのものだってことや、モーターカルチャーとしての歴史があるということ、遊びにお金をかけることがステータスだったり、いろんなところでアメリカのよさがあるから。

木村さんのものづくりに対するスタンスを教えてください。
またそれを踏まえ、今後挑戦していきたいことは何ですか?
今までは、バイクである以上ナンバープレートがつくわけだし、法律の中でそれにあわせて作るってことが実際7割くらいあって、あと好きな形にするのが3割くらいだったけど、
もっとアートっぽい方向に、もしくは本当に動かなくても、発想の幅を広げるっていう意味でやっていきたいと思ってる。でもベースはバイクだから、純粋にバイクとしてかっこいい、乗りやすい、早いっていうのを作ることと、2つの柱でわけて考えていかなければならないんだけど、今はそれができる立場になったし、もうひとりだから、もっと自由に挑戦していきたい。
今までは部下がいてメカニックがいて僕はそこの店長であり、上司でもあり、メカの親分でもあったから、指導もしなければならなかったし、自分もメカニックとしていろいろ知らなければ教えられないし、無理している部分もあったけど、そういう部分を人に頼んで、好きな、自分にしかできない得意な部分に最大の時間を使っていけるようになった。そういうふうになれたってことで気持ちが楽になったし、そういうところを伸ばしていこうと思っている。
今回作った目玉のランプみたいなのもそういう発想のひとつ。電気屋やインテリアデザイナーのアプローチとは全然違う、バイク屋としてのアプローチをしていきたいと思っている。
リスペクトする人はいますか?
もともと職人に憧れていたので、ホップ吉村とか本田総一郎とかそういう技術畑の本当にできる人。自分が出来ないというコンプレックスと合わさってるんだけど…。
アーティストとしては昔の広重とか北斎とか伊藤若冲とか…江戸時代って日本のかっこよさの頂点だと思う。
仕事している時、音楽など聴きますか?
仕事している時に音楽がなきゃとか、そういうのはないタイプ。音楽は必要だけど、音がないのも好き。都会の中でも、道を一本入るとすごい静かなところとかあるけど、そういう場所も好きだし。静かな中、バイクを作る作業中のガチャガチャとした音を聞きながら作るのも好きなんだよね。
オープンから今まで共にお仕事をさせていただきましたが、T.H.C.についてどう思われましたか?
思想的なバックグラウンド、テーマを持ってやるっていうことはとても稀少なことだと思う。こういうスペースの中で、自分たちの目で選んだものを売りながら、アーティストを支持したりすることも共感できるし、ただ単にモノを売るっていうことじゃないところにT.H.C.の存在意味があると思う。
それは自分も共感するところで、これがただ商業主義で、「木村君のバイクを置けば売れるんじゃないか」ってそういうことで接触されても、多分こんなに一生懸命やらなかったと思うし。コンセプトっていうものが前面にきていることが俺にとっては大事だったし、多分お店にとってもそれは大切な部分だと思う。
だから長く続けて欲しいし、また呼んでもらえるのを楽しみにしてる。3年後、またここで出来たらいいな。
最後に、私たちは木村さんのことをヒップスターと呼んでいますが、木村さん自身、ヒップスターとはどういう人のことだと思いますか?
自分は方向性に迷った時、例えばこっちが儲かりそうだとかそういうことを選ぶんじゃなくて、「こっちがやりたい」とか、「こっちにいった結果をみてみたい」とか「面白そう」だとか、そういう風に選んできたし、多分これからもそうやっていくと思う。
どっち行こうかなと思った時に、“面白いと思うこと”と“本当にやりたいこと”を選ぶ、それが俺にとってのヒップスターかな。
聞き手:今井孝則
photo:花渕浩二


