Timothy Leary


Hipsters file 9
ティモシー・リアリー
ウォーホルウォーホルがニューヨークシティのイースト47丁目に「ファクトリー」を移転した1963年、ティモシー・リアリーもまた時代を象徴する、多様な人々が集まる場をつくった。ニューヨーク州ミルブルックの「カステリア協会」がそれで、神経論理学の研究を主目的として多くの研究者やアーティストが集まってきていた。ファクトリーと異なるのは、郊外に位置するその広大な敷地である。「カステリア協会」の敷地内には屋外にテントを張って暮らすものさえ現れ、ひとつの共同体のようなものが出来上がっていった。
「野望は世界の人々の意識を解放すること。実現する可能性は低いけど、人生短いんだし、地球をより良い場所にしたいだけさ。」ドキュメンタリー映画『ティモシー・リアリー博士の生涯』の冒頭に使われているのは、リアリー獄中のインタビューである。ハーバード大学教授時代からのちに追放された後も、研究はとても難解なものであったが、出発点は非常にシンプルだ。彼は映画の中で、こうも言っている。「神経学の時代が到来する、書物ではなく薬物が知識を広げる」。
ティモシー・リアリーは臨床心理学者としてハーバード大学で研究をしていたが、あるときのLSD体験で「心理学の研究に費やしてきた15年間より有意義な5時間だった」とその可能性を感じ、薬物の研究をはじめる。ハーバード大学教授という社会的影響力の強い立場でありながら、それまで精神病の治療にしか使われなかったLSDを「人々の意識の解放」のための素晴らしい道具として一般に広めるべきであると擁護する立場の研究を公表、それを問題視した大学はリアリーを追放した。「終身在職権なんて興味ない」。リアリーは動じずに研究を続ける。ヴェトナム反戦運動や公民権運動、女性解放運動などの盛り上がりの中、"Turn on, Tune in, Drop out"というリアリーの言葉が流行。いつしかリアリーは、西海岸に集うヒッピーやフラワー・チルドレンたちの教祖的な存在となっていった。
その存在が大きくなるにつれ、リアリーの研究内容や思想は、大学のみならずアメリカ政府からも危険思想だとして目をつけられるようになる。知事選への出馬をきっかけに圧力が強くなり、リアリー曰く「合法的ではない」形で半ば強制的に逮捕。しかしリアリーはしばらく刑務所生活をした後、脱獄まで試み、なんと成功してしまう。しばらく海外に移住するなどするが再逮捕され、その後も獄中で執筆活動を続ける。
リアリーの研究は自分を実験台にし、周囲の人々(獄中では囚人や職員)を徹底的に観察することで続けられた、孤高の研究である。自分を信じ、人間の可能性を信じることから生まれたその思想は今読んでもなお、時折舌を巻くほどの先駆性を感じさせる。晩年、前立腺がんに侵されたリアリーは、自らの死さえも関心対象とし、一大パフォーマンスに仕立ててしまう。「死は人生で最も魅惑的な体験だ。好奇心、希望、そして実験精神を持ち続け、友人の助けを借りながら自分の生を生きたのと同じように、死に接するべきだ。」彼のパフォーマンスは、すべての死を恐れる人々を勇気付けた。自らの終末に際してもなお、彼は世界の人々の生を解放に向かわせる壮大な試みに胸を躍らせていたのである。
文:内沼晋太郎


