Jacques Prevert


Hipsters file 18
ジャック・プレヴェール
サルトルの人生におけるパートナーとしてはシモーヌ・ド・ボーヴォワールが有名だが、生涯その存在を愛で、愛した女性にジュリエット・グレコがいる。18歳でデビューして以降、今なお第一線を走り続ける現役のシャンソン歌手だ。
グレコは、サルトルに限らず、当時賑わっていたサン=ジェルマン=デ=プレ界隈の人間にとってミューズ的な存在であった。彼女の歌った曲の中には、その界隈の芸術家や思想家、小説家などが歌詞を提供したものが数多くあり、当然サルトルもその一人であるが、もう一人、その中でもとりわけ作詞家としてその名を轟かせた有名な詩人がいる。サルトルよりもさらに5歳年上の、詩人。パリの街角のカフェで、帽子をかぶりスーツ姿でタバコをふかしていた彼こそが、ジャック・プレヴェールである。
1900年、パリに生まれたジャック・プレヴェールは、学校が嫌いだった。リブモン=デセーニュがプレヴェールを評した言葉に「彼は街から来たのだ。決して文学から来たのではない」というのがあるが、まさにその通りで、街ゆく人々や劇場、そして本が彼の学校だった。結局、小学校を出てすぐ働くようになり、彼はその後一切学校を出ていない。そうして1926年、彼はアンドレ・ブルトン率いるシュルレアリスムの運動に参加し、そこで彼らの詩作手法などを学ぶ。しかしクノーらと同様、1929年には活動から離れる。彼の処女詩集となる『ことばたち(原題:paroles)』が出版されるのはそれからだいぶ後、1946年になってのことだ。
プレヴェールが詩人としてよりも先に才能を発揮したのは、脚本家としてである。ジャン・ルノワールが監督をつとめた「ランジュ氏の犯罪(原題:The Crime of Monsieur Lange)」の脚本を書き、その仕事が好評を得る。中でもそれを高く評価したのが映画監督のマルセル・カルネであった。ジャック・フェデーやルネ・クレールの下で助監督をやっていたカルネは、自身の初監督作品である『ジェニイの家(原題:Jenny)』の脚本をプレヴェールに依頼。以後、カルネとプレヴェールのコンビは多くの映画作品をつくることになる。やがて第二次世界大戦が始まるも彼らは精力的に映画制作を続け、1945年、フランス映画を代表する作品のひとつとなる『天井桟敷の人々(原題:Les enfants du Paradis)』を発表。「いつ会える?」「近いうちに縁があればね」「しかし君パリは広いよ」「好いた同士にはパリも狭いわ」――という名シーンは、プレヴェールの詩的才能をもってして生まれたのである。
また、もうひとつプレヴェールが才能を開花させたのが、作詞であった。先のジュリエット・グレコはもちろん、エディット・ピアフ、カトリーヌ・ソヴァージュなど、有名なシャンソン歌手の作詞を多数手がけている。そして何より有名なのが、イヴ・モンタンの歌った「枯葉」である。カルネ/プレヴェールコンビの最後の作品となった『夜の門』に出演し、その主題歌として歌った「枯葉」は当初映画ともどもヒットしなかったが、のちにグレコが歌ったことで火がつき、その後シャンソンの最もスタンダードなナンバーとして今もなお多くの歌手によって歌い継がれている。
現在20世紀最大のフランス詩人とも言われるプレヴェールは、1977年にこの世を去る。長らく邦訳が絶版になっており、日本ではむしろ『天井桟敷の人々』や「枯葉」によってその存在が知られていた程度だったが、2004年にスタジオ・ジブリの高畑勲氏による初邦訳作品として『ことばたち』が出版されたことによって、国内でも広く再評価されることとなった。
文・内沼晋太郎


