Pablo Picasso


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パブロ・ピカソ
プレヴェールと、もう一人、当時のパリで人々に愛された詩人を挙げるとすれば、ポール・エリュアールということになるだろう。ブルトン率いるシュルレアリスム運動に深く関わった彼は、その作品で頻繁にテーマとされることから「愛と革命の詩人」として称され、激しく移り変わる時代に生きる人々の心を代弁し、魅了する作家の一人であった。1937年、第二次世界大戦の前哨戦となったスペイン内戦中、ナチスによるゲルニカ爆撃のとき、エリュアールが書いた詩のタイトルを『ゲルニカの勝利』という。そして彼の親友でもあったとある著名な芸術家は、時を同じくして『ゲルニカ』という大作を描きあげた。そう、この時代の人々を紹介するならば、そろそろ彼の名を挙げないわけにはいかない。二十世紀最大の芸術家、パブロ・ピカソである。
[ 10 24, 2008 ] 2008.10.24.22.37.45 1410Jacques Prevert


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ジャック・プレヴェール
サルトルの人生におけるパートナーとしてはシモーヌ・ド・ボーヴォワールが有名だが、生涯その存在を愛で、愛した女性にジュリエット・グレコがいる。18歳でデビューして以降、今なお第一線を走り続ける現役のシャンソン歌手だ。
[ 8 28, 2008 ] 2008.08.28.23.00.00 1363Jean-Paul Sartre


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ジャン・ポール・サルトル
ボリス・ヴィアンが生きていたころ、文学的に評価されたのはヴァーノン・サリヴァン名義で金目当てで執筆されたハードボイルド小説ばかりで、今日代表作とされる『日々の泡』などヴィアン名義の作品は全く評価されず、評論家にも酷評されていた。しかし1959年、彼の39歳の若すぎる死後、サン=ジェルマン=デ=プレ界隈で彼と日々を共にしていた作家や学者たちが発端となって、彼の作品を再評価する機運が高まった。
[ 6 26, 2008 ] 2008.06.26.18.43.01 1315Boris Vian


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ボリス・ヴィアン
ジャン・コクトーが出入りしていたサン・ジェルマン・デ・プレ界隈で、ボリス・ヴィアンは「プリンス」と称された人物だった。そこは第二時大戦直後の開放感に溢れた気風のパリで、「ペル・エポック」時代のモンマルトル、「エコール・ド・パリ」全盛期のモンパルナスに続き、多くの知識人や文化人の溜まり場となっていた。ヴィアンはまさにその中心で最も騒いでいた人物のひとりであり、自らをまったく棚に上げた形でその界隈と人々とを紹介した『サン=ジェルマン=デ=プレ入門』を記した人物であり、そして何より『日々の泡』や『北京の秋』デ知られる作家であり、と同時にトランペット奏者でもありシャンソンの作詞作曲家でもあり公務員のエンジニアでもある、類稀なるマルチな才能をもった人物であった。
Jean Cocteau


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ジャン・コクトー
レーモン・クノーが『オディール』で描いたパリに、確かにジャン・コクトーはいた。しかしクノーとは時を違えながらもコクトーもまた、ダダに反対し、シュルレアリスムと訣別した。だからどちらかというとコクトーは、ボリス・ヴィアンが『サン・ジェルマン・デ・プレ入門』に描いたほうのパリにいた。多くの知識人や文化人が溜まるパリの街角で、若き天才・コクトーは実に奔放にやらかしていたのである。
Raymond Queneau


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レーモン・クノー
アンドレ・ブルトン率いるシュルレアリスムは運動として組織されたもので、そこには色々な思想家や芸術家たちの、参加あるいは脱退という流れがあった。特にその中心人物であるブルトンはそこで大きな影響力を持っていたため、誰かを招き入れたり、あるいは容赦なく除名したりする権力を併せ持っていた。そのやり方に不満を持ち自ら脱退していくものも多かった。そしてレーモン・クノーもまた、ブルトンによって好意的に招き入れられ、自ら脱退していったメンバーの一人であった。
André Breton


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アンドレ・ブルトン
トム・ウルフトム・ウルフは"The Painted word"(邦題:『現代美術コテンパン』)の中で、第一次世界大戦前に起こったモダニズムの一連の大きな運動も、すべて1920年代に入ってからはじまったように感じられる、と書いた。そしてそれは、1920年代にヨーロッパで「現代美術ブーム」が訪れたからであるとして、有名になって服装や振る舞いが急に変わったといわれるピカソのことをさんざん皮肉ったりしているのだけれど、その現代美術ブームの一端を担ったと思われるのが、後にピカソ自身も傾倒するシュルレアリスムの作家たちだ。そして、その中心人物がアンドレ・ブルトンである。
Tom Wolfe


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トム・ウルフ
スナイダースナイダーは、ケルアック、ギンズバーグ、バロウズがこの世を去ってしまった現在において、50年代60年代のビート詩の現場を実際に生き、いまなお健在である最も重要な詩人であるといえるだろう。時代の証人の話に耳を傾けること、それは最もリアルに時代の遺産を受け継いでいく方法である。
Gary Snyder


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ゲーリー・スナイダー(Gary Snyder)
ノーマン・メイラーノーマン・メイラーが定義した「ヒップスター」は、流行となって陳腐化した「ビートニク」と真の「ビート」とを区別することばであり、ムーブメントの中心的存在だったアレン・ギンズバーグやジャック・ケルアックなどを指した。そして彼らがそれまで人生の重要な局面において出会っていた詩人のひとりに、ゲーリー・スナイダーがいる。
Norman Mailer


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ノーマン・メイラー
ティモシー・リアリーティモシー・リアリーが、ハーバード大学で教鞭をとっていたという経歴は、良くも悪くもリアリーを紹介する際に必ずついて回るものだ。ハーバードといえばアメリカで最も権威のある高等教育機関であり、歴史的にも最も古いので、どうしてもビートやヒッピーたちの反体制的なイメージと結びつかないのである。
Timothy Leary


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ティモシー・リアリー
ウォーホルウォーホルがニューヨークシティのイースト47丁目に「ファクトリー」を移転した1963年、ティモシー・リアリーもまた時代を象徴する、多様な人々が集まる場をつくった。ニューヨーク州ミルブルックの「カステリア協会」がそれで、神経論理学の研究を主目的として多くの研究者やアーティストが集まってきていた。ファクトリーと異なるのは、郊外に位置するその広大な敷地である。「カステリア協会」の敷地内には屋外にテントを張って暮らすものさえ現れ、ひとつの共同体のようなものが出来上がっていった。
「野望は世界の人々の意識を解放すること。実現する可能性は低いけど、人生短いんだし、地球をより良い場所にしたいだけさ。」ドキュメンタリー映画『ティモシー・リアリー博士の生涯』の冒頭に使われているのは、リアリー獄中のインタビューである。ハーバード大学教授時代からのちに追放された後も、研究はとても難解なものであったが、出発点は非常にシンプルだ。彼は映画の中で、こうも言っている。「神経学の時代が到来する、書物ではなく薬物が知識を広げる」。
Andy Warhol


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アンディ・ウォーホル
パティ・スミスパティ・スミスがロバート・メイプルソープと同棲していたチェルシー・ホテルは、様々な文化人が集う場であった。ボブ・ディランが『ローランドの悲しい目の乙女』を作曲し、ウィリアム・バロウズが『裸のランチ』を、アーサー・C・クラークが『2001年宇宙の旅』を執筆し、殺害されたナンシー・スパンゲンとその横で放心状態のシド・ヴィシャスが発見されたそのホテルで、ある世界的なアーティストが、彼の監督する映像作品における代表作を撮っている――映画のタイトルは『チェルシー・ガールズ』。音楽はヴェルヴェット・アンダーグラウンド、出演者はニコやイングリッド・スーパースター。もうお分かりだろうか。監督でありアーティストである彼の名前は、アンディ・ウォーホルである。
[ 10 25, 2006 ] 2006.10.25.17.33.17 349Patti Smith


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パティ・スミス
ブコウスキーブコウスキーは「ビート」と呼ばれることを嫌がり、自ら「おれはパンクだ」と宣言したが、彼がそのときイメージした「パンク」は誰だっただろう。いまや「パンク」という言葉からイメージするものは当時よりもさらに多様化したが、まず真っ先に思い浮かぶのは、今も昔もオリジナル・パンクスであるセックス・ピストルズやクラッシュなど、ロンドン発のものだろう。
[ 9 27, 2006 ] 2006.09.27.18.01.45 312Charles Bukowski

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チャールズ・ブコウスキー
ローレンス・ファリンゲティローレンス・ファリンゲティの書店兼出版社「シティ・ライツ・ブックス」の存在とその活動は、ビート・ジェネレーションがひとつのゆるやかなムーブメントとして広く認知されるのに、大きな意義を果たした。しかし、今もシティ・ライツに行けば必ず大きなコーナーが組まれているチャールズ・ブコウスキーは、そんな中にあって、「ビート」と呼ばれることを執拗に嫌がった最も有名な作家のひとりである。
Lawrence Ferlinghetti

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ローレンス・ファリンゲティ(Lawrence Ferlinghetti)
ニール・キャサディニール・キャサディはビート・ジェネレーションの詩人たちの中でも、スター性の高い人物であった。しかし、にもかかわらず、その早すぎる死の前には結局一冊の詩集さえも遺さなかった。唯一存在する著書が"The First Third"という自伝であるが、この本でさえ、発売されたのは1971年、彼の死の数年後。そして彼のその未完成の自伝を、きちんと時間をかけて出版までこぎつけたのは、やはりあの「シティ・ライツ・ブックス」なのである。
[ 7 26, 2006 ] 2006.07.26.12.43.57 266Neal Cassady

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ニール・キャサディ(Neal Cassady)
ケルアックケルアックの代表作『路上』は、ケルアック自身をモデルとした主人公サル・パラダイスと、ニール・キャサディをモデルとしたディーン・モリアーティとの放浪の旅を描いたものであり、商業的な成功もあいまって、ビート・ジェネレーションを象徴する作品となった。
[ 6 28, 2006 ] 2006.06.28.13.12.38 267Jack Kerouac

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ジャック・ケルアック(Jack Kerouac)
バロウズバロウズの小説は比較的長めのダラダラと続くスタイルで書かれていたが、タイピングは2本指で、あまり上手ではなかったという。ところがケルアックは、タイピングに対しては随分こだわりを持っていた。テレビ番組「スティーヴ・アレン・ショー」に出演したときケルアックは、散文はテレタイプ用のロール紙に書き、象徴的・印象主義的な詩は鉛筆で書く、と自ら告白している。
[ 5 30, 2006 ] 2006.05.30.21.12.28 268William Burroughs

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ウィリアム・バロウズ(William Burroughs)
ギンズバーグギンズバーグがジャック・ケルアックと知り合って意気投合したばかりの頃に、2人で(こちらも知り合って間もない)バロウズの家に遊びに行き、その本棚を見て衝撃を受けたというエピソードが残っている。ギンズバーグは17歳、ケルアックは21歳、そしてバロウズは29歳。豊富な読書量と明晰な頭脳を持ち合わせた年上のバロウズは、彼らにとって数少ない理解者であり、兄貴分であり、先生であった。バロウズは、若き日のギンズバーグやケルアックに文学や思想のことを教え、ときに本を与えたという。
[ 4 26, 2006 ] 2006.04.26.13.45.50 269Allen Ginsberg

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アレン・ギンズバーグ(Allen Ginsberg)
「今世紀の詩の上手、巧者ということなら、ほかにも沢山いる。だが詩と行動が一致し、それが時代を大きくゆるがせたとなるとわたしはギンズバーグをおいて考えられない。あのヴェトナム反戦のための平和運動が世界的なムーブメントとなり、ヒッピー、フラワー・チルドレンたちをはじめ、時代の多くの若者たちの心をゆるがせたのだ。」(※1)
[ 3 27, 2006 ] 2006.03.27.12.49.38 270

