Charles Bukowski

Hipsters file 6
チャールズ・ブコウスキー
ローレンス・ファリンゲティローレンス・ファリンゲティの書店兼出版社「シティ・ライツ・ブックス」の存在とその活動は、ビート・ジェネレーションがひとつのゆるやかなムーブメントとして広く認知されるのに、大きな意義を果たした。しかし、今もシティ・ライツに行けば必ず大きなコーナーが組まれているチャールズ・ブコウスキーは、そんな中にあって、「ビート」と呼ばれることを執拗に嫌がった最も有名な作家のひとりである。
ニューヨークやサンフランシスコで
ビートたちが華々しく活躍していたとき
ロスアンゼルスで郵便物を仕分けし
配って歩いた
「おれはビートではない
パンクだ」
(中上哲夫「ガッツのある男 チャールズ・ブコウスキー追悼」)
上に引用したのはブコウスキーの訳者でもある詩人・中上哲夫による追悼詩の一説だが、最後の「ビートではない、パンクだ」というセリフはあまりにも有名で、つい昨年日本でも公開されたばかりの映画の邦題も「ブコウスキー:オールドパンク」とつけられたほどである。原題は「Bukowski: Born into This」であるから、見てのとおりそこに「パンク」という言葉はない。しかし50歳まで郵便局員として勤めきちんと社会生活を送りながらも、アナーキーな思想を晩年まで崩さなかったブコウスキーは、まさにポケットから死を取り出すまで(最晩年の日記「The Captain is out to lanuch and the sailors have taken over the ship」の邦題は『死をポケットに入れて』である)「パンク」であり続けたのである。
ブコウスキーは1920年、ドイツ生まれ。3歳のときにアメリカに移住し、高校卒業後シアーズ・ロバックに就職するが仕事になじめず、LAシティ・カレッジに入学するがそこも中退する。道を見失ったブコウスキーは、1942年から45年にかけてアメリカ各地を放浪。そして1944年(24歳)に最初の小説を雑誌に発表する。その後1952年(32歳)からは郵便局に勤務し、それから1970年まで、ミニコミなどの小さな雑誌に投稿・寄稿をし続ける。1960年には最初の詩集が出版されたが、あまり受け入れられなかった。一般の評価を得るようになったのは、郵便局員を辞めて作家活動に専念する晩年になってからである。そして1994年に亡くなるまで、五十冊に及ぶ詩集や小説が刊行。邦訳されている作品も十数冊はある。
ギンズバーグやバロウズと一緒に朗読会に出ることがあっても、決してビートとは呼ばせなかった。50年間愛用したタイプライターを70歳にしてマッキントッシュに変え、それで詩を書いては、自宅までやってくるファンや若い詩人たちを玄関で追い返し、日々競馬に明け暮れた――そんな風にして、しかし最後は白血病で死んだブコウスキー。永遠のアナキストであった彼が遺した膨大な量のクールな言葉は、いまなおぼくらを魅了してやまない。
私は死をポケットに入れて持ち歩いている。時々そいつを取り出して話しかけてみる。
「やあ、ベイビー、どうしてる?いつわたしのもとにやってきてくれるのかな」
(チャールズ・ブコウスキー著、中川五郎訳『死をポケットに入れて』)
文・内沼晋太郎


