André Breton


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アンドレ・ブルトン
トム・ウルフトム・ウルフは"The Painted word"(邦題:『現代美術コテンパン』)の中で、第一次世界大戦前に起こったモダニズムの一連の大きな運動も、すべて1920年代に入ってからはじまったように感じられる、と書いた。そしてそれは、1920年代にヨーロッパで「現代美術ブーム」が訪れたからであるとして、有名になって服装や振る舞いが急に変わったといわれるピカソのことをさんざん皮肉ったりしているのだけれど、その現代美術ブームの一端を担ったと思われるのが、後にピカソ自身も傾倒するシュルレアリスムの作家たちだ。そして、その中心人物がアンドレ・ブルトンである。
1896年、フランスノルマンディー地方タンシュブレー生まれのアンドレ・ブルトンは、当時まだフランスでは知られていなかったフロイトの心理学に触れたことをきっかけに、第一次世界大戦終戦後の1910年代半ば、ヨーロッパのいくつかの都市やニューヨークなどで同時多発的に起こったダダイスムに参加する。ブルトンが参加したのはパリ・ダダであり、ルイ・アラゴンやフィリップ・スーボーなどが仲間であったが、中心人物であったトリスタン・ツァラとの対立が徐々に激しくなり、ダダから離脱する。そうしてアラゴンやスーボーらと共に展開した新たな芸術運動が、シュルレアリスムだ。
日本語では「超現実主義」と訳されるため、現実を超えた「非現実」的なものと捉えられがちであるが、本来は現実を超えるほど「過剰に現実」であるもの、現実性を突き詰めた先にあるもの、というような意味である。最も有名な手法が自動筆記(オートマティスム)であり、半眠状態や文字を埋める速度に極度に集中した状態など、意識が邪魔をしない地点まで自らを追い詰めて文章を書く。このときの状態がまさに現実を突き詰め、現実の内側にあるより過剰な「超現実」に近づいた状態であり、こうしてつくられた作品がシュルレアリストの詩的実験のひとつの成果なのである。
その自動筆記による代表的な作品が、ブルトンによる『溶ける魚』であり、本来その序文として書かれたのが『シュルレアリスム宣言』である。この『シュルレアリスム宣言』がきっかけとなって運動としての様相を強くしたシュルレアリスムを、ブルトンはその「父」として牽引し、ときに一部の芸術家をシュルレアリスムから除名するほどの権威となった。そのためブルトンに反感を抱く者も多く、除名にされたダリなどの大家や、アラゴンやスーボー、エリュアールといった初期のメンバーも徐々にブルトンの元から離れていった。しかしそうした中でもなお、ブルトンは死ぬまでシュルレアリストを名乗り、後世に多大なる影響を遺した。
その影響はもちろんビートの作家たちにも引き継がれている。ケルアックは長いロール紙を愛用し、さながら自動筆記のごとくタイプライターを打ち続け、わずか3週間で『路上』を書いた。バロウズはシュルレアリストたちの書物を愛読し、自ら小説に取り入れたカットアップの手法も現実を超えるひとつの手法であった。そしてヒッピーたちはシュルレアリストの書物を発見し再読した。たしかに運動としてのシュルレアリスムは、トム・ウルフが「現代美術ブーム」と呼んだ1920年代にはじまり、一説ではブルトンの死とともに終了したとされる。しかし「父」は今も、その遺伝子を後世の「子」たちに引き継いでいるのである。
文・内沼晋太郎


