023 “JOY DIVISION 〜I Remember Nothing〜”


関連の映画が2本続けて公開され、再評価の流れが高まったジョイ・ディヴィジョン。特に『CONTROL』は、U2やデヴィッド・ボウイ、ビョークなど多くのロックミュージシャンを撮影しているフォトグラファー、アントン・コービンによる初めての監督作品であることもあり、随分と話題になった。全編モノクローム、イアン・カーティスの妻デボラ・カーティスによる原作で撮られた本作は、まるで本当に当時のもののように観る者の心に迫ってくる。
しかし実際はもちろんアントン・コービンも、当時のジョイ・ディヴィジョンの映像はおろか写真さえも撮ることはできていない。そして今回TOKYO HIPSTERS CLUBの2Fフリースペースで開催されたのは、その奇跡的な瞬間を捉えたフォトグラファー、マーティン・オニールによる、本物のジョイ・ディヴィジョンの写真展である。デビューアルバム発売3ヶ月前の、1979年3月。イギリス・マンチェスター南部で行われた彼らのライブを、フロア最前列、そしてステージ上から鮮明にとらえたものだ。

ジョイ・ディヴィジョンはもともと、セックス・ピストルズのライブに衝撃を受けたバーナード・サムナーとピーター・フックがメンバーを募集し、パンクバンドをやろうと結成したバンドだった。そこにヴォーカルとして参加したのがイアン・カーティスであり、バンド名を何度も変えながら、最終的な「ジョイ・ディヴィジョン」という名前をつけたのもイアンであった。当初はいわゆるパンクをやっていたが、徐々にイアンの独特の歌詞や声によって独自の世界観を築き、イギリスの感度の高いリスナーに高い音楽的評価を得ることになる。しかしながらそのステージは、元々持病の癲癇やうつ病に悩まされてきたイアンを気遣って、とてもナイーヴなものであったという。展示されている写真を眺めていても、その繊細な息遣いが聞こえてくるようだ。

そしてこのライブが行われた翌年、アメリカツアーを直前に控えた1980年5月、イアン・カーティスは首吊り自殺によって謎の死を遂げる。そしてこれらの写真は、その後25年間一度も世に出されることはなく、2005年に初めてマンチェスターのギャラリーで公開された。そして今回が、初の国外での展示となった。会場ではこれらの写真のほか、記念のTシャツや、サイン入りの額装ポストカードなどが販売されていた。
その活動期間は本当にごく短いものだったが、ジョイ・ディヴィジョンの影響を口にするミュージシャンは、今もあとを絶たない。また、イアン亡き後のジョイ・ディヴィジョンはニュー・オーダーと名前を変え、ニューウェイヴを代表するバンドとして大きな影響をのこし、解散騒動などを起こしながらも今なおその活動を続けている。その音楽に直接触れることができなかったほとんどの日本のリスナーにとって、今回の写真展はまさにそのリアルな姿を垣間見ることができる貴重な体験であった。
文・内沼晋太郎


